祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の秋祭り(8 平・海の口地区の一津舞台)


itsu.jpg一津地区にはヒスイ加工の跡が発掘された遺跡があり、古くから栄えた地域であることがうかがえます。また、地区の北端には仁科十六番札所の海口庵があります。

近年建てられた国道沿いの舞台庫から出された舞台は、山の手の道沿いにある集会所前に置かれます。大町で一番小さいと思われるこの舞台は、大正の大火以降に美麻の大塩地区から購入したとのことで、地元大工の宮島義満氏によれば、当初二輪であったものを先代が三輪にし、自らが現在の四輪にしたとのことです。

彫刻や装飾も少なく、簡素な造りの小さな舞台ではありますが、天井の朱塗りに黒丸の文様は特徴的です。幔幕や提灯で飾り付けられ、道祖神や大黒様に見守られながら、五つ灯籠の下に置かれた姿には気品があり、豪華絢爛たる舞台とは対照的な価値を持ちながら、この地に息づいています。

巡行は山の手の道を行きます。やがて崩沢舞台庫の前で崩沢舞台と一緒になり、国道を渡って進みますが。西海の口で三台が合流し、前後を崩沢と西海の口の舞台に守られながら神社へと向かいます。かつて、海の口の人たちは、大町の大黒町に囃子を習いにいったとのことで、三台ともに大町の囃子の特徴を伝えていますが、ここの舞台囃子も昭和の中期に大黒町の指導を受けて復興したとのことです。