祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の秋祭り(7 平・海の口地区の舞台三台)


autumn_festa7.jpg 海の口村は、慶安2年(1649)の文書によれば、松本藩の直領で、当時30軒の家数があり、2人の庄屋が治めていたことを伝えています。荷宿が設けられ、継荷の仕事を受け持っていたとのことで、街道筋の重要な中継点であったことがうかがわれます。 現在は西海の口と東海の口に分けられ、東海の口は北の崩沢と南の一津に分けられ、それぞれの三台の舞台が祭礼日には一同に巡行します。

また、東の女獅子、西の男獅子も前夜に獅子舞を奉納します。 三台の舞台はそれぞれに個性があり、順次紹介していきますが、例年、一番小さな一津の舞台が常に真ん中となり、偶数年には西海の口の舞台が、奇数年は崩沢が先行し、三台が揃って上諏訪神社へと向かいます。

平成15年までは神社境内まで曳き上げられていましたが、急坂のため舞台への負担も多く、現在は神社下までの巡行となっています。写真は境内に三台が揃ったもので、既に見ることのできない情景です。 太古の昔は湿地であったという広大な田園風景の中、三台の舞台が進みます。もう直ぐであろう稔りの時を、祈るかのように笛や太鼓の音が響き渡っていきます。山と湖と神と人の織りなす情景は、この地の景観と相俟って言葉にならない感慨があります。