祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の夏祭り(7 大町の舞台)


大町の夏祭りを彩る舞台は、大黒町、九日町、堀六日町、高見町、八日町、五日町の六台があります。それぞれに特徴はありますが、共通していることは二階建ての構造である点です。屋台と呼ばれる善光寺平の山車形式は一階部分のみで二部屋に分かれます。こうした山車は鬼無里や小川にも共通して見られます。大町の舞台は、松本の舞台と似ており、松本平に共通した形式です。 一般的には山車(だし)と呼ばれていますが、これらの呼び名も地方により異なります。祇園の山・鉾、飛騨高山の屋台、岸和田のだんじりといった具合です。ここ松本平では舞台と呼ばれ親しまれています。これらの山車は神様をお連れする乗り物であるわけで、いわば車輪の付いた神輿であり、一般的には豪華絢爛に飾られます。

この地の舞台の発祥としては、深志神社史料の元禄五年(1692)に「舞台」の名称が初出しています。そして享保九年(1724)にはその規模が判明、車輪付が明確になるのが元文三年(1738)であり、その後次第に豪華なものになり、嘉永三年(1850)には13台の舞台が記録されています。 現在確認されている現存最古の松本型舞台は、寛政五年(1793)ころ建造された本町二丁目のもので、天保八年(1837)に15両で梓川村北大妻に売却されています。また、全盛期のものは天保九年(1838)に建造され、大町市大黒町に明治二十一年(1888)に500円で売却され、現在は県宝として大町の夏祭りに巡行しています。

松本深志神社には16台の舞台がありますが、大部分は明治期以降の建造です。大町の舞台は出所の不明なものが多く、確実なところは分かりませんが、箱書きや墨書などから江戸時代後期のものといわれています。当時、より良い舞台を求めての活発な舞台の売買の情況は、現在では考えられないことであります。私はこうした背景の中、江戸時代後期の松本の舞台が大町にやってきた可能性を考えています。

塩の道で結ばれたこの地の壮大な人と物との行き来により、大町の夏祭りも次第に大きくなっていったのだと思います。そんな歴史を今に重ねながら、大町の夏祭り舞台巡行をご覧ください。この地に暮らし、生きた人たちとの出会いがあるかもしれません。







omachi_matsuri.jpg