祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の秋祭り(5 平地区の森舞台)


resize1054.jpg平地区の森地籍には安倍神社と仁科神社が並んであり、仁科氏の森城とゆかりの深い地籍である。社伝によれば、安倍神社は仁科森の城主の祈願所として崇敬高く、仁科氏が敗れて水中に入りしとき、鶏が同道したため危難にかかったという。

これにより鳥居を建てない神社として特筆されている。また、仁科神社は、城主で承久三年(1221)に砺波で朝敵と戦い戦死した仁科盛遠公を祀り、その髻(もとどり)を埋めた「髻塚」の側に建てられており、村人は年々祭事を営んでいるという。
森の舞台は安倍神社の西側の舞台庫に格納されており、祭の朝に曳き出される。

昭和15年位までは巡行していたようだが、戦争で若者が居なくなり、途絶えているとのことであり、仁科神社は昭和22年に平村殉国英霊130余柱を合祀している。

木曽漆で修復された舞台はかなり大きく感じられる。鯉や水鳥彫刻で飾られ、階上の天井には黒漆に金で神紋の違矢が描かれている。かつての巡行は、仁科十四番札所であった福聚堂から南の「やまく」まで曳き、神社に戻ったという。
囃子は「ちゃんちゃんでこ」一曲だけであったということだが、夜の湖面に響き渡ったであろうと思われる。なかなか立派な舞台であり、巡行の復活を願うものである。