祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の夏祭り(14 堀六日町舞台)


処暑を迎え、地蔵盆のお祭りの準備が進んでいる町も多いと思います。大町地区の舞台紹介もわが町を残すだけとなり、これからは八坂・美麻地区の舞台と秋祭りを紹介していく予定です。

堀六日町は、かつての仁科氏の居館であった天正寺に通じる位置にあります。幟旗には「本町六日町」とあり、今にその歴史を伝えています。現在は堀町を合わせ、堀六日町となっていますが、堀町には物見を受け持つ高見城があったといわれ、仁科五番札所である大年寺跡の周囲には堀の遺構が見られます。

舞台には、弘化・嘉永年間に修復した旨が見事な筆跡で天井裏に墨書されています。雨漏りするような舞台を、皆で相談して修復したとの内容で、地元の職人の名もあり、当時の状況がしのばれます。本来は簡素な舞台だったようですが、格子欄間を彫刻へと替え、現在に至っています。

特徴は何と言っても狐のからくりです。「きつねの舞台」として子供たちに人気ですが、狐箱には嘉永七年寅との年代が記されています。当時、五日町には朝比奈三郎、八日町には楠正成父子、高見町は獅子、九日町は安珍清姫の人形があり、堀六日町は狐のからくりを飾ったところ、大いに人気を博したと町の記録は伝えています。現在は、腕を挙げ、向きを変える安倍保名(あべのやすな)の人形も階上に飾られ、狐(葛の葉)とともに、信太妻(しのだづま)伝説を乗せての巡行です。

からくり仕掛けは高山の屋台が有名ですが、祇園祭でも蟷螂山が動くカマキリで人気を博しています。当町の狐は囃子の演奏に合わせて動かし、締め太鼓で前足、大太鼓で首を動かします。つまり単なるからくり仕掛けではなく、『動く囃子』といったところでしょうか。操る人は太鼓演奏に長じた者でなければならず、単純な動きの中に命を吹き込み、狐を生き生きと蘇えらせます。素朴な軽妙さが狐の表情と相俟って見ている人たちの頬が緩み、動きを真似る子どもたちが大勢います。

囃子は他町とほぼ同様ですが、『三曲』や『数え歌』が失われています。復活の努力を続けるとともに、『かごめ囃子』と称した子どもたちの練習曲も取り入れています。今年は長年にわたって育成してきた子どもたち4人が、本祭りの演奏で舞台に乗るまでになりました。狐の動きに合わせた軽妙な演奏が身上です。



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