祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の夏祭り(13 高見町舞台)


お祭りも近づき、町々に聞こえてくる囃子の音色に、心躍るこの時季が一番なのかもしれません。流鏑馬サミットも始まり、忙しくなってきました。

高見町舞台は、階上柱の昇り龍と下り龍の彫刻が立派ですが、近年復元された九日町の龍が、その昔に『借金の形として高見町に取られたものである』といったような言い伝えが残っています。真偽のほどはともかく、舞台の構造や姿かたちも九日町舞台と似たところが多く見られます。

舞台の特徴としては、何と言っても町の人たちが『お獅子さま』と崇敬する高見火荒神様のご神体である獅子頭です。この獅子頭は本祭りに舞台階上に飾られますが、その彫は雄大であり、かつ大胆な力強さあります。前を見据える眼光は鋭く、ひときわ大きな鼻の穴を持ち、力強い牙が横一文字に並び、大町近隣に現存する獅子頭とは一線を画したものと言えます。

仁科盛遠が陣中において将卒の慰安と士気鼓舞ため、または戦場の威しとして用いたが、敵の兵伏にあごを切付けられたと伝えられ、真偽はともかく現にその刀傷が残されています。また何か事変が起こる前兆には必ず口をパクパクと開いて知らせたり、鼻の穴などに指を入れると神罰があったなどともいわれ、高見町の幾度かの火災には御子宮の線で火が止まったなどの伝承が獅子頭には数多く残されており、恐ろしい形相ではありますが、よく見ると愛嬌もあって、そのあたりが親しまれ崇敬されている所以ではないかと思います。

本祭りでは、獅子頭とともに幌が飾られます。古くなって新調しても、翌日には切れ切れになっていたとの伝承から、現在でも古い幌を傷めないように、年番は苦労して飾り付けており、只々敬服するしだいです。

舞台囃子は他と共通した曲ですが、五本調子の太い音色と、近年張り替えた太鼓の音が張りのある音でパーンと響き、力強い印象を与えます。幾多の伝承や言い伝えも、今では物語として夏祭りの風物詩となったように思います。これも町の人たちの『お獅子さま』への崇敬にほかなりません。



takami.jpg