祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の秋祭り(12 平地区の青木舞台)


青木地区へ入ると昭和電工の発電所があり、左に進むと仁科十五番札所の堂崎があります。堂崎はその昔集落の北の湖に突き出た岬にあり、街道を行く旅人の安全のため祀られたと言われ、近年改修され立派な姿になっています。その先を左に登っていくと周囲は墓地となり、その先に青木水神社があります。境内には青木湖底から発見された丸木舟が安置されています。 神社は青木湖を一望できる高台にあり、舞台は階上部分を解体されて収納されていますが、現在は集落の中を曳くことはなく、祭礼日には御幣に角灯籠ともみじの枝で飾られます。こうした急坂のある地区の舞台は、二輪構造になっているのが常ですが、ここ青木舞台は四輪構造のため、急坂での曳行はかなりの負担を舞台にかけてきたと思われ、解体された柱にもそうした痕跡が見られます。  舞台階上の朱塗りの天井板は、崩沢舞台と同様の金色の七つ星が打たれた星辰図となっていて特徴のひとつです。その昔、組み立てられた舞台とともに撮影されたセピア色の写真には、嬉々とした人たちの笑顔が写っていて、よき時代を感じさせてくれます。 時代は少しずつ変化し、こうしたものも失われていくのかもしれませんが、ふたたび舞台の姿を見たいものです。旧石器時代や縄文草創期の遺物が出土し、現在の青木村は中世には存在したと言われるこの地の、人々の営みがいつまでも続くことを祈り、坂道を下りました。

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