祭りの案内人のマイスター

マイスター:朝野豊和 祭りの案内人

昭和29年に大町に生まれ育ち、都会で大学、専門学校、研修生活を送る。28歳で大町に朝野整骨院を開業、堀六日町舞台の囃子にかかわりながら、地元の祭りの魅力を再発見する。町内の囃子演奏のかたわら、大町舞台囃子保存会で舞台の調査研究、子ども囃子育成に携わる。「祭りは小さい子どもからお年寄りまでが楽しめる総合文化であり、人生のハレの日である。」と言う。「ただ見物するだけではなく、かかわる楽しさを共有しながら町づくり、人づくりができたらいいですね」と語っている。

大町の夏祭り(10 九日町舞台)


大町もお盆を過ぎると涼しくなり、地蔵盆の行事や、秋葉様のお祭が各地で催されます。また、竃神社のお祭(9月10、11日)も近付き、この地方では野沢菜の播種の時季となります。大黒町に続き九日町の舞台を紹介します。

九日町舞台は、大黒町舞台に続いて巡行します。朱漆と階上飾りの華やかさは明るい印象があります。

昭和55年から59年にわたり、階上の人形修復や柱への龍の取付けを行い、昭和64年には車輪を新造しています。今では安珍・清姫の人形も優しい表情をしていますが、私が子供の頃に見た印象は、古色蒼然とした恐ろしさを感じさせるものでした。柱の龍もなく、他町に持っていかれたとの俗説のある龍も新造され、現在の姿になっています。

階上の飾りの中に、舞台天井後方に吊り下げられた、面の箱(写真)があります。この町の、能にまつわる家筋からの寄進といわれ、鬼女の面と伝えられています。この面は一度取り出せば、たちまち大雨が降ると伝えられており、どんな干ばつでも、大町の祭には必ず三粒でも雨が降るといわれています。昭和5年発刊の北安曇郡郷土誌稿には、「今から百年も前のことか、非常なる旱が続いた、そこで人形を作りこのお面をかぶせて木崎へ沈め、お経をあげてもらうと、忽ち黒雲巻き起こり、大雨となり幾日も降り続き反って大害を受けたので、それから大町ではどんな旱が続いても雨乞いをしなくなった。」との口碑伝説があります。

仁科二番札所の弾誓寺や県宝の聖観音立像、三番札所の妙喜庵、商工・芸能にまつわる豊川稲荷などの史跡も多く、こうした伝説とも相まって、古きよき時代を思いおこさせてくれる街並みを、伝説をのせて舞台は巡行します。。



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